この記事は、こんな方におすすめ
✅国際的な環境で育ち、アイデンティティについて考えている方
✅バイリンガルのアイデンティティが気になる方
こんにちは、BJT代表のAyaです。私は10歳でアメリカに渡米したのですが、この話をすると、時々こんな質問を聞かれます。
「自分は日本人だと思う?それとも、アメリカ人だと思う?」
ということで今日は、①自分のアイデンティティに関してこれまで思っていたこと②「どっちでもない」にたどり着いた理由というテーマでお話しします。
①自分のアイデンティティに関してこれまで思っていたこと

ちょっとだけ背景を説明しますと、私の両親は日本人です、アメリカには親戚が住んでおり、幼い頃は1、2年に一度アメリカに遊びに来ていました。なので、「アメリカは身近な国」という思いがありました。そして、10歳の時に母親の仕事の都合で渡米しました。
10歳までは、自分は日本人という認識でした。日本語しか喋れないし、友達も親戚もみんな日本人です。
渡米後、10歳から17歳くらいまでの間も、日本人だという思いが強かったです。アメリカにいると、自分が日本人であることを再認識させられることがとっても多いです。日本に住んでいると、周りも日本人なので、あまり「自分が日本人」ということを意識しないで暮らしている人も多いのではないでしょうか。でもアメリカにいると、周りは自分に対して「日本人」として接してきます。日本の文化や日本語について聞かれたり、自分だけ見た目が日本人なので、日本人としてのアイデンティティが強かったように思います。
それから、アメリカにいると「アジア人」としてざっくり大きなカテゴリーに入れられるので、アジア人のクラスメイトや友達に対する仲間意識も強かったような気がします。
私にとっては、18歳から22歳くらいまでの、大学生〜社会人一年目くらいが気づきのフェーズでした。18歳の頃に、渡米後初めて日本に一時帰国したのですが、「あれ、私自分が思ってたほど日本人らしくない」と思ってしまったのです。具体的にピンポイントで「〇〇が違う!」とは言えないのですが、例えば小中学生時代の友達や家族と過ごしていて、仕事や恋愛に関する価値観が違かったり、服装や美意識が違かったり、ささいな違いに気づくことが多かったのです。
そして、大学卒業後は日本での就職に憧れていたものの、自分が本当に日本に住めるかわからなかったので、お試しで1ヶ月日本に住んでみたんです。そしたら、2週間くらいでアメリカが恋しくなりました…。なんか、「なんとも言えない違和感」を感じたんです。
今考えると、自分は日本の社会的なマナーやしきたりをマスターしていないけれど、見た目が日本人で日本語も喋れるので、「日本の社会で日本人として振る舞えて当然」と思われていたのを、プレッシャーに感じていたのだと思います。
周囲が求めていることとは、違う行動や発言をしてしまう。
自分がいつものように行動すると、笑われる。
「面白いキャラ」みたいな立ち位置になって、結構役立つことも多かったのですが、「地球人のフリをして生活してる宇宙人」みたいだったと思います(笑)
そしてこれが、「なんともいえない違和感」の正体だったのではと思っています。
ここで気づいたのが、「見た目」や「自分が得意な言語」が自分のアイデンティティを形成するわけではないということ。私は見た目が日本人で、どちらかといえば英語より日本語の方が得意だけど、だからと言って、必ずしも日本人というわけではないこと。育った環境や文化もアイデンティティを形成する上で大事だということ。とりあえず、100%日本人という意識はないけれど、アメリカ人でもないので、このお題は自分の中で保留にしておきました。
ちなみに、100%日本人ではないものの、だからといって自分はアメリカ人という思いもありませんでした。
そのままとくにアイデンティティに関して深く考えることもなく社会人になり、ミシガン州からボストンに引っ越しました。ボストンはとても多様な人種が集まる都市で、多言語・多文化な環境で育った人にたくさん出会いました。
アメリカ人だけど日本に住んだことがある人だったり、ヨーロッパから来ている人だったり、自分みたいに日本で生まれてアメリカで育ってる人だったり、アフリカから移民で来ている人だったり。「日本」「アメリカ」関係なく、ミシガンよりも多種多様な環境でした。
そこで気づいたのが、日本人とかアメリカ人とか関係なしに、多言語・多文化な環境で育った人と価値観が合うということ。一緒にいて楽で、楽しくて、「自分はここに属しているんだ!」と思いました。
②「どっちでもない」にたどり着いた理由

社会人になってから、人種関係なしに、多言語・多文化な環境で育った人と気が合うと気づいたのです。
これはあくまで私の考えなのですが、人間って色々なことをカテゴリー分けしたがると思うんです。便利だし、私もカテゴリー分け大好きです。
ただ、白黒はっきりしないこと・しなくてもいいこともあるんだなと思いました。特にアイデンティティって、グレースケールみたいな、グラディエントみたいな物なのかなと思っています。グレースケールって、白と黒の間に、色々な濃さのグレーがありますよね。両端が「日本人」と「アメリカ人」だったとしたら、自分は「その間のどこか」にいるんだろうなと思います。
まとめ
ということで今日は、「日本生まれ、アメリカ育ちの私のアイデンティティについて」お話ししました。個人的な話になってしまいましたが、自分の考えを書いてみようと思いました。
似たような境遇で育った、他の人の意見も聞いてみたいです。