10歳の頃にアメリカに来てから、気がついたことがあります。
それは、海外にいるときの方が、自分の「日本人」としてのアイデンティティが際立つということです。
人はそれぞれ、色々な肩書きを背負って生きています。たとえば、私だったら「経営者」だったり「娘」だったり、「先生」だったり「妹」だったり。それに加えて、「女性」や、「日本人」というラベルも常についてまわります。
どの肩書が一番重要かというのは、人によって違ってくると思います。
私の場合は、今のところ「日本人」という肩書が一番濃いと思っています。
というのも、10歳でアメリカに来てから、常日頃、自分が「日本人」であることを再確認するような言動にたくさん触れるのです。
例えば、小学生の頃、学校のお祭りで、自分の国の旗を持ってパレードをする行事がありました。先生は私に、「あやは日本から来たから、日本の国旗を持ってね」と、日本の国旗を持つように指示しました。私は先生に言われた通り、日本の国旗を持ってパレードに参加しました。
他にもたくさん例はあります。例えば、高校時代、仲の良い友達数人とクリスマスパーティーをした時のことです。「あやは日本から来たから、キティちゃんの柄を選んだよ!」と言って、プレゼントをくれました。ここでもやはり、「そうだった、私は日本から来たんだった」と再認識するわけです。
日本にいたら、まわりのほとんどが日本人なので、「あなたは日本人だから○○してね」と言われることはまずないと思います。私の場合、アメリカに来てから「あなたは日本人」という言葉をしょっちゅう聞いているうちに、自分の中の「日本人」としてのアイデンティティが強くなっていきました。
アメリカに来てから15年以上経つ今でさえ、周囲の人は「日本人」として私に接してくるし、自己紹介をする時も、「日本出身のあやです」と言います。周りからみたら、やっぱり私は「日本人」なのです。
だからと言って、別に愛国心が特別強いとか、そういうわけではありません。どちらかというと、肩書って責任みたいなものなんじゃないかなと思っています。
私が誰かにすごく意地悪なことをしたとしたら、「日本人は悪い」という偏見を生み出してしまうかもしれない。逆に、いいことをしたら、「日本人は良い」という、良い偏見につながるかもしれないのです。いろいろな意味で、海外に住む日本人は「日本代表」なのです。 自分の行いがもっと大きなグループに影響を及ぼすというのは、時にプレッシャーになります。でも、考えようによっては「日本人がバカにされないように頑張らないと!」という原動力にもなるので、プラスの方向に使っていければ、良い結果に結びつくのではないかなと思います。
幸い、私は日本人として差別や意地悪をされたことがあまりなく、逆に優遇されてきたことの方が多いです。アメリカにいる「日本人」として暮らしてきた先人たちが、勤勉に努力をして、レールを敷いてくれたのだと思うと、自分もちゃんと責任を持って未来につなげていかないといけないと思います。
2019年は大変お世話になりました。ブログを読んでくださっている皆様にとって、来年も素敵な年となりますように!2020年もBoston Japanese Tutorsをどうぞ宜しくお願い致します。
2019年12月31日
Boston Japanese Tutors Founder Aya